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南極旅行&クルーズ南極のガラパゴス
サウスジョージア島。 - フォークランド諸島の東南東1,300kmに位置する三日月形をした山岳性のサウスジョージア島は1675年に発見されました。この島には、10万づがいものキングペンギンや何千頭もの巨大なアザラシ、オットセイ、鳥類など多種多様の野生生物が生息し、「南極のガラパゴス」と呼ばれています。
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1912年まで隆盛を極めた、
アザラシ&オットセイ猟。 -
製油所跡
ゾウアザラシ
- 最初にやって来たのはアザラシ&オットセイ猟師で、オットセイ猟は、1786年には隆盛を極め、1912年まで続きました。後半の時期は、オットセイではなく僅か一種類のミナミゾウアザラシのみが貴重な油の原料として捕獲されていました。
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南極の海洋生物の資源保護。
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クジラ
- 捕鯨漁の全盛期である1920年代にはサウスジョージア島では7箇所の捕鯨基地が操業を行っておりました。1904年から1965年の間に合計17万5千頭のクジラがサウスジョージア島近海で捕獲されたと推定されます。南極海全体では同時期で合計150万頭にものぼります。商業捕鯨は、1965年に「捕り尽くし」という単純明瞭な理由で終焉を迎えました。1993年には200海里排他的経済水域制がサウスジョージア島およびサウスサンドウィッチ諸島周辺にも適用され、「南極の海洋生物の資源保護に関する条約(CCAMLR)」合意の事項が適用されるようになりました。
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野生生物の楽園に戻りつつあるサウスジョージア島。
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キングペンギン
- 現在、サウスジョージア島の多くの浜辺は、キングペンギンやオットセイなどが昔の個体数に回復しつつあり、野生生物の楽園となりつつあります。
オットセイ
キングペンギンとアザラシの群れ
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南極旅行&クルーズサウスジョージア島のみどころ
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全長約160km、幅約32kmのサウスジョージア島は、キャプテン・ジェームズ・クックがこの海域についての調査報告をしたことで知られています。ジェームズ・クックの報告が、結果的にサウスジョージア島やサンドウィッチ諸島のクジラ猟やアザラシ猟を促進し、これらの野生生物を絶滅の危機に追いやることになりました。
- ※南極旅行・南極クルーズでの見どころは、一例です。一度の航海ですべてを訪れるわけではありません。気象、海象、氷など厳しい自然環境の下で航路や上陸する場所が変更になる場合があります。予めご了承ください。※を押すと地図に戻ります。
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- ウイリス諸島(Willis Island)
- ウイリス諸島は、マカロニペンギンの故郷であり、アホウドリやミズナギドリ、ウミツバメ、タヒバリ、オナガモなど20種類もの鳥類の繁殖地にもなっています。
これらの島々は、キャプテン・ジェームズ・クックの航海で初めて発見され、海軍士官候補生のトーマス・ウィリーに因んで名づけられました。
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- バード島(Bird Island)
- この島には、物凄い数の鳥の巣があったため、1779年にキャプテン・ジェームズ・クックによってバード島と命名されました。ここには、27種類もの鳥類が繁殖していて、鳥類の多様性から言ってもサウスジョージア島で最も重要な島となっています。そのいくつかは、島固有の鳥類で絶滅の恐れがあります。
この島には、マカロニペンギンやミナミオオフルマカモメ、マユグロアホウドリ、ハイガシラアホウドリ、ワタリアホウドリ、さらにサウスジョージア島固有種のタヒバリやサウスジョージアオナガガモが営巣しています。また、多くのオットセイが棲息しています。
1978年以降、BAS(イギリス南極調査局)は、小さな観測基地を運営しています。この島に上陸するには、特別許可が必要となります。
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- エルスフル(Elshul)
- サウスジョージア島のエルスフルは、ナンキョクオットセイの主な繁殖地となっています。湾入口の上に通じる急な坂道には、数千羽のマカロニペンギンやミズナギドリ、ウミツバメそして、小型のアホウドリが繁殖しています。雄のオットセイは、繁殖の時期になると攻撃的になるため、雄のオットセイの数が増える夏の後半までここに上陸する事は、事実上不可能となります。
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- ウエルカム島(Welcome Island)
- この島に上陸する事は、滅多にありませんが、ゾディアックボートで、マカロニペンギンやキバナウ、オットセイなどを見学するには最適な場所です。
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- ベイ・オブ・アイル (Bay of Isles)
- ベイ・オブ・アイルは、サウスジョージア島で最も美しい場所の一つです。ここの湾の海岸は、広々としておりソールズベリー平原として知られています。このソールズベリー平原には、3万番(つがい)とも言われるキングペンギンの営巣地が広がっています。湾の中には、12の島々があり、アホウドリとミズナギドリの名前が付けられています。これらの島々の海岸に一度に上陸できる人数は、65名以内に制限されています。また、ここでは、タソック草で覆われた平原に多くのオットセイがいるため、歩くルートを見つけるのに苦労します。この島では、サウスジョージア島固有種のオナガガモやタヒバリ、ミナミオオフルマカモメ、ワタリアホウドリの営巣地を見れるチャンスがあります。
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- キングハーコン湾(King Haakon Bay)
- キングハーコン湾は、アーネスト・シャクルトンの最終目的地でした。
アーネスト・シャクルトンと5名の隊員は、無甲板船のジェームズ・ケアード号で800マイルもの荒海を航海し、サウスジョージア島のケーブ・コヴとして知られる小さな入り江のロサ岬に上陸を果たす事ができました。上陸後、無甲板船のジェームズ・ケアード号をひっくり返して避難所を作り、ペゴティ・キャンプと名付けました。後に、チャールズ・ディケンズの小説の中でペゴティ家の住まいとして使われました。
数日後、その湾から、シャクルトンとフランク・ワースリー、トム・クリーンの3人は、ストロムネスの捕鯨基地に向けてトレッキングで山越えを始めたのでした。
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- プリンス・オラフ湾
- 1911年7月、捕鯨業者たちは、プリンス・オラフ湾に捕鯨基地を建設しました。
この捕鯨基地は、南アフリカとイングランド北東部のサウスシールズに事務所を構えるサザン・ホエーリング&シーリング会社の所有で運営されました。
プリンス・オラフ湾の捕鯨基地設立は、サウスジョージア島の歴史において“ゴールドラッシュ時代”の終焉を告げるものでした。その捕鯨基地は、1931年に閉鎖されました。
1775年、キャプテン・ジェームズ・クックは、この港に上陸し、国王ジョージ3世のために島の領有権を主張しました。ここは、ポゼション湾の北の端に位置しています。
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- リース・ハーバー
- 1909年11月、捕鯨母船スターライト号と捕鯨船スウォナとセムラ号が、スコットランドの捕鯨港に因んで名づけたリース湾に避難のため入港しました。
これらの捕鯨船は、ノルウェーとの繋がりが強い、スコットランドの捕鯨会社クリスチャン・サルベセンが所有していました。海岸をベースとした捕鯨基地の建設が始まりました。サウスジョージア島における3番目の捕鯨基地で、1966年にこの捕鯨基地を放棄するまで捕鯨猟師たちは、よく手入れをおこなっていました。そのため、再びいつでも操業が出来るほどでしたが、時が経つにつれ風雨にさらされ、略奪と破壊行為で道具などが持ち去られてしまいました、その結果、すべての建物は、危険な状態になっています。
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- ストロムネス(Stromness)
- ストロムネスの捕鯨基地は、1907年12月にノルウェーのサンドフィヨルド捕鯨会社によって設立されました。最初は、捕鯨母船内で作業は行われていましたが、5年を経る間に陸上をベースとした捕鯨基地が建設されました。その基地は、1961年に操業を終了しました。
現在、廃墟と化したストロムネスの捕鯨基地も、アーネスト・シャクルトンと2名の探検隊員がサウスジョージア島の険しい山並みを36時間もの時間をかけて徒歩で横断し、やっとの事で到着した際には、操業を行っていました。
捕鯨基地は、後に船の修理工場に改修されました。
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- フスビック(Husvik)
- 1910年に設立されたフスビックの捕鯨基地は、ノルウェーの捕鯨会社「トンスバーグ社」の所有でした。
鯨油の値段が下がり、会社の経営が不振に陥ったため、1931年、捕鯨基地は閉鎖されました。しかし、ニルス・オルセン経営の基、1945年に再開されました。ニル・オルセンは、彼の家を漫画で飾るなど有名な芸術家でもありましたが、捕鯨基地は、1961年に最後の操業を終えました。
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- グリトヴィケン(Grytviken)
- グリトヴィケンは、サウスジョージア島初の捕鯨基地として1905年に設立されました。
捕鯨猟師のための小さな教会であった白い建物の背後には、巨大な燃料貯蔵タンクが立ち並び、錆びついた残骸が印象的です。
最近になって、この教会は、C.A.ラーセンとアーネスト・シャクルトン卿の記念館として再建されました。
また、当時、基地の管理者の住居として建てられた建物は、今は、小さな博物館になっています。そこには、自然歴史や探険など捕鯨漁の時代のものが展示されています。
その近くには、シャクルトンが眠る捕鯨猟師の墓地があります。捕鯨基地跡は、安全上の理由で立ち入りは禁じられています。
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- キング・エドワード岬(King Edward Point)
- キング・エドワード岬は、クンバーランドの古代モレーンの裾野にあり、グリトヴィケンの捕鯨基地から800mほどの所に位置しています。そこには、1912年、ブリティッシュ・センター・オブ・アドミニストレーションが設立され、かつては、10棟ほどの建物が建てられていました。
1982年のフォークランド紛争後、数年間、港湾管理者や行政官、郵便局長とともに陸軍の小隊の本部がおかれました。英国は、2001年まで軍隊を駐留させ続けました
その後、基地は、民間の英国南極調査局(BAS)の研究施設として引き渡されました。新しい基地は、サウスジョージア行政機関のBASによって運営されています。
キング・エドワード岬では、桟橋を利用する事ができます。グリトヴィケンへは海岸の上の道を行くことができます。この辺りには、ゾウアザラシやオットセイ、キングペンギンがしばしば見受けられます。
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- アネンコフ島(Annenkov Island)
- アネンコフ島には、マカロニペンギンの大きな営巣地や沢山の野鳥の繁殖地があります。この島では、化石が発見されており、特別科学研究対象の指定場所になっています。
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- ペジェット山(Le Mount Peget)
- アラダイス山脈に美しく聳えるペジェット山は、標高2,934mでサウスジョージア島の最高峰です。
目が眩むほどの美しい雪に覆われた峰は、1964年まで征服される事はありませんでした。
1960年、英国海軍を後援者とするロイヤル・マリンの登山パーティは、標高2,915mの西側の峰への登頂を試みましたが、悪天候と猛烈な寒さで、地形も悪く、下山も非常に危険な状態だったため断念せざるを得ませんでした。1964年の登山パーティは、1916年にシャクルトンが島を横断したルートをたどり登頂に成功する事ができました。
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- オーシャン・ハーバー(Ocean Harbour)
- オーシャン・ハーバーに初めて建設された捕鯨基地は、リース契約でクジラを丸ごと解体し利用する事が義務づけられました。この捕鯨基地は、1909年に設立され、カール・アントン・ラーセンの弟のラウリッツ E.ラーセンによって運営されました。
捕鯨基地は、片づけられてしまったため、今は、機関車と7つの十字架がある古い墓地、捕鯨時代からの鯨油精製器が残るのみです。
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- セント・アンドリューズ・ベイ(St. Andrews Bay)
- セント・アンドリューズ・ベイは、サウスジョージア島最大のキングペンギンの営巣地で約75,000番(つがい)のキングペンギンが繁殖しています。ゾウアザラシも広大な浜辺で繁殖をしています。
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- ロイヤル・ベイ(Royal Bay)
- ロイヤル・ベイの観測基地は、1882年~83年の国際極年の一環としてドイツのサウスジョージア島探検隊によって建てられたものです。天文学や気象観測のかたわら、隊員たちは、植物相や動物相についても研究をおこない、新たな発見となる多くの動植物を採取しました。現在、その観測基地跡には、建物の基礎と人工物が散らばっていているのみです。キングペンギンやゼンツーペンギンとキバナウなどの野生生物が棲息しています。
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- ゴールド・ハーバー(Gold Harbour)
- 豊富な植物相に彩られているゴールド・ハーバーは、キングペンギンの巨大な営巣地とバートラブ氷河が湾まで流れこんでいる景観をお楽しみいただけます。また、ここには、多くのゾウアザラシやナンキョクオットセイも棲息しています。
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- クーパー・ベイ(Cooper Bay)
- クーパー・ベイは、3つの小さな湾から成り立っています。マカロニペンギンの小さな営巣地があり、徒歩で容易に上陸する事ができます。ヒゲペンギンの営巣地もあります。
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- クーパー島(Cooper Island)
- クーパー島は、キャプテン・ジェームズ・クックの中尉であったジェームズ・パリサー・クーパーに因んで名づけられました。
島は、ギザギザの崖とアホウドリやマカロニペンギン、オットセイが好むタッソ草に覆われています。
この島には、ヒメハグロミズナギドリ、ノドジロクロミズナギドリ、ヒロハシクジラドリ、キタオオフルマカモメなど多彩な鳥類が存在しているため、特別保護地域に指定されていて、上陸が禁止されています。
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- ドリガルスキー・フィヨルド(Drygalski Fjord)
※クルージング - 風光明媚なドリガルスキー・フィヨルドは、内陸に約13km伸びています。入口近くには、ラーセンハーバーと名付けられた狭い水路があります。かつてこの水路は、捕鯨船の避難所として使われていました。ここには、通常、南極の高緯度で見られるウエッデルアザラシの小さな繁殖地があります。
- ドリガルスキー・フィヨルド(Drygalski Fjord)
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- ディサポイントメント岬(Cape Disappointment)
- ディサポイントメント岬は、1775年1月20日、キャプテン・ジェームズ・クックが英国軍艦 レゾリューシュン号でサウスジョージア島の沿岸を探検中に発見しました。
彼は、今まで発見できなかったテラ・オーストラリス・インコグニタ(南極)の広大な大地が南に続いている事を期待しながら、それを証明しようとして、沿岸に沿って航行中のある日、岬を回った所で、大地は北西方向に向かっていることがわかり、大陸の一部では無く、島である事が判りました。
この場所には、多くの鳥類が営巣しています。また、固有種のサウスジョージア・タヒバリが営巣しているグリーン島は重要な島となっています。
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- シャグ・ロックス(Shag Rocks)
- サウスジョージア島の北西240kmに横たわるシャグ・ロックスは、海面からの高さ71mで、波浪でギザギザにとんがっています。シャグ・ロックスは、1762年、スペイン船「オーロラ号」によってはじめてその存在を確認されたものと推測されます。しかし、シャグ・ロックスの正確な位置は、1920年まで記録されていませんでした。
1956年、アルゼンチンの海軍士官が初めてこの島に上陸しました。1972年には、英国の軍艦エンデュランス号が全体の調査をおこないました。
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- サウスサンドウィッチ諸島(South Sandwich Islands)
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11の島々からなるサウスサンドウィッチ諸島は、北から南にかけて弧を描くように350kmも伸びています。全体の面積は310平方kmで、1775年、キャプテン・ジェームズ・クックが英国の軍艦レゾリューション号で航海中に発見しました。彼は、海軍司令長官であったアール・オブ・サンドウィッチに因んでサウスサンドウィッチ諸島と名づけました。
北側に横たわる3島は、l819年のロシア皇帝アレクサンダー1世の探検航海で、ベリングスハウゼンがこの島に到達するまで発見されませんでした。現在、サウスジョージア島とサウスサンドウィッチ諸島は、英国の海外領土となっています。サウスサンドウィッチ諸島の全体あるいは一部は氷に覆われおり、浸食が進むこれらの島々の頂きは、海底から約3,000mも隆起しています。この島々は風雨にさらされて僅かの土と植物が生えているのみです。ザボドフスキー島とベリングスハウゼン島、ヴィンディケーション島、レスコフ島の4島のみは氷結する事はありません。
これらの島々は、火山活動をおこなっており、1956年、タートル島でキャンプ中であったアルゼンチンのグループが、真っ赤に燃えた溶岩が300m上空まで吹きあげているのを見たと報告しています。
過去100年間に殆どの島で活発な地震活動が記録されています。
サウスジョージア島同様、これらの島々は、南極収束線の南側に位置し、生物学的には、南極とみなされています。これらの島々には、数百万羽に及ぶペンギンと海鳥が繁殖しています。
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- ザボドフスキー島(Zavodovski Island)
- 1908年にカール・アントン・ラーセンは、新しい捕鯨基地の建設候補地を探すために、蒸気ヨット「ウンディン号」でサウスサンドウィッチ諸島を探検しました。
彼はザボドフスキー島に立ち寄った際、ここは約束の地だと思いました。しかし、この島の有毒な火山ガスと地震のため、この地は適切では無いとの結論に達し島を後にしましました。
1819年、この島は、ロシア船「ボストック号」のザボドフスキー海軍中尉に因んで名づけられました。ここには、ヒゲペンギンの巨大な営巣地があることで良く知られていて、100万番ものペンギンが繁殖しているものと推測されています。訪問者たちは、ペンギンの営巣地から発せられる騒音の大きさのために上陸を避けています。
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