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- エリア: 北極
- スヴァールバル諸島(ノルウェー領)
ヴィルゴハムナ (Virgohamna)
北緯79.7° 東経10.9°
スピッツベルゲン島の北西沖に浮かぶアムステルダム島とダンスク(デンマーク)島との間に浮かぶ小さなフグルスタイネン (Fuglesteinen=鳥の石)島には数千羽と言われるヒメウミスズメの巨大な営巣地があります。ダンスク島の北岸にあるヴィルゴハムナは北極探検史上重要な意味がある場所です。ここで忘れてはならないのがスウェーデンの探検家サロモン・アンドレー隊の悲劇でしょう。スウェーデンの特許庁エンジニアであったソロモン・アウグスト・アンドレー(43歳)はスウェーデンのイエテボリを基点に9回ほど水素気球の経験を積んだ後、当時のハイテク技術を集めた水素気球で北極点経由カナダまたはロシアへの北極海横断飛行を目指して同行のニルス・ストリンドバーグ(25歳)、ヌート・フレンケル(27歳)と共にここ、ヴィルゴ・ハーバーから1897年7月11日に出発しました。ところが、2度ほど伝書鳩を送った 3日後以来3名は音信不通となってしまいました。様子が分かったのは33年も後の1930年8月6日に、諸島東端にある離れ島クヴィット島でめったに来ないセイウチ猟船が偶然、濃霧の中彼らの遺体と共に克明に記された日記、まだ現象可能な写真板などの装備を発見したのです。彼らの残した綿密な測量記録と日記によると、出発2日後には水素が漏れ始めた気球オーネン(ワシ)号は通常飛行10時間半後、氷面に接触しながらの超低空飛行を41時間過ごした挙句、ついに7月14日北緯83度、東緯30度付近の海氷上に不時着してしまいました。3名と装備は無事だったので、氷上テントで1週間ほど準備をした後、起伏の多い海氷上を人力そりで南に向かいました。毛皮を持たず、羊毛製品の衣類と防水加工したキャンバス地の合羽だけの服装で、シロクマやアザラシの肉を主食にした、寒さと湿気に悩まされる日々が続きました。氷上越冬を覚悟しましたが、約3か月後の10月5日に乗っていた氷板が偶然船ではめったに来ない諸島東端のクヴィット島に近づいたのでやっと島に這い上がりました。しかしその2週間後には3名とも死亡していたようです。下痢で体調が悪く、常に疲労と寒さに悩まされており、衣類の様子からストリンドバークがホッキョクグマに襲われた事以外、直接の死因については長い間議論の的でした。ホッキョクグマの半生肉を食べた事による施毛虫症、栄養不良と疲労など色々な説が出されていますが、死体が荼毘に付されているので、未だもって決定的な結論は出せていません。
ソロモン・A・アンドレーら3名が行方不明になっている間の1907年にはアメリカ人のジャーナリストでフランツヨーゼフランド探検経験(1898~99)のあるウォルター・ウェルマンが同じヴィルゴ・ハムナの基地から飛行船での北極点飛行に挑戦しました。1906年、1907年とエンジンが不調で、3回目の1909年も故障でスヴァールバル諸島から約100㎞飛行したところで引き返しています。アンドレー基地の西にウェルマン基地跡があって、ドラムカンや格納庫の遺品などが散らばっています。 ©Rlindblad20170420