南極・北極旅行&クルーズ 株式会社クルーズライフ

  • ホ-ム > 
  • 南極クルーズ・北極クルーズの手引き

南極クルーズ・北極クルーズの手引き

第4章 南極条約

南極は平和的目的のみに活用されるべきだ・・・

1948年にアメリカは南極を国際信託領土とする提案を領有主張国七カ国に提案しましたが、この当初の主張に対しては何の結果も生み出されませんでした。
1957年から58年の国際地球観測年(IGY)に、旧ソ連は、オーストラリアが領有主張する区域に基地を設置し、アメリカもニュージーランド領有主張の区域に科学観測基地を建設しました。旧ソ連とアメリカが国際地球観測年終了後も南極に留まる意志を表明したことは、関係各国が継続して調査協力をなす事を明確にする意味がありました。その結果IGYは1959年1月~12月の国際地球協力年に受け継がれました。

しかしながら1958年4月にアイゼンハワー大統領は南極の将来について討議する為の会議を招集し「南極は科学調査目的やその他の平和活動を行う意図のある全ての国に解放されるべきである」との提案を行いました。
1959年12月1日、国際地球観測年に科学観測基地を運営していた十二カ国により南極条約が締結されました。この条約は1961年6月23日までに各国で批准され、それ以後条約参加国は2015年現在、50ヶに増加しました。

この条約で最も重要な展開面の一つは、領土主張国が事実上その主張を無制限に凍結、または棚上げした事です。しかしこれらの国々はなおもイギリス領南極、ロス保護領(ニュージーランド)、ティラ・デル・フエゴ県、南極および南大西洋諸国(アルゼンチン)などといった名で南極領土に関する国内法を制定し領土主張の基本的原則を堅持しています。アルゼンチンはその領土にフォークランド、サウス・ジョージア、サウス・サンドイッチ諸島が含まれるべきだと主張しています。

事実上南極条約の構成国は2種類に分かれます。いかなる国でもこの条約に署名して、その原則を固守する事ができますが(「加盟国」)、この地域で重要な科学観察研究を行っている国に限って協議会に参加し協議決定のプロセスに加わる事が許されます(「協議国」)。

南極条約機構には1958年に設立された南極研究科学委員会(SCAR)、南極のアザラシの保護に関する1972年条約(CCAS)、南極の海洋生物の資源保護に関する1980年条約(CCAMLR)、および1991年の環境保護に関する南極条約議定書があります。
さらに2年にわたる精力的な交渉の末準備された議定書は、全ての鉱物の商業的開発を50年間禁止するという結果をもたらしました。この内容は英文わずか13文字からなる、議定書の中では最も短い条文によって明記されています:「鉱物資源に関するいかなる活動も科学研究以外はこれを禁止する。」しかし議定書にはこのほかにも重要な取り決めが多く含まれています。今や全ての南極訪問計画は、人類の諸活動が環境にもたらす影響を事前に充分に検討してなされるべきであり、産業廃棄物の処理や海洋汚染についての厳しい規制が施行されています。

無題

(南極旅行&南極クルーズ4-1)