恒久的基地の設営
ドイツ軍の奇襲により南極の捕鯨船の殆どを拿捕されたり撃沈されたりした後、捕鯨船の時代は急速に終焉を迎え1941年に操業しているのは、サウス・ジョージア島に残る二箇所の地上捕鯨基地だけとなりました。かくて遠い南極の地でさえ各国軍同士の紛争が持ち込まれる事が明白となり、1940年にはチリが、1943年にはアルゼンチンが重複する部分の南極領土宣言をするに到り、先の英国と三つ巴の紛争となりました。南極に軍と政治が持ち込まれたのです。英国とオーストラリアは巡視艇を送り込み、ニュージーランドも亜南極諸島に沿岸警備隊を配備しました。1944年には英国がサウス・シェトランド諸島と南極大陸(ポート・ロックイとホープ湾)に基地を建設し、この年から南極には人類が恒久的に住み着く様になりました。戦後まもなくの1950年までにはアルゼンチン、オーストラリア、英国、チリ、フランス、ニュージーランド、南アフリカ、アメリカが南極大陸や島々に越冬基地を建設し、これらの基地のほとんどは恒久基地(或いは長期の基地)となってゆきました。
終戦後すぐにアメリカ海軍による「ハイジャンプ(高跳び)作戦」遠征隊が1946年から47年にかけて活動していました。これは夏のみの作戦でしたが、当時としては唯一かつ最大の遠征事業となりました。航空母艦と潜水艦が起用され、主として沿岸地域を目標に65、000枚以上の航空写真や、3,260㍍もの映画が撮影されました。
延べ13隻の船舶、23機の航空機が起用され、4,700名の海軍兵がこの遠征に参加したのです。翌年の夏には、主にヘリコプターを起用した「ウィンドミル(風車)作戦」遠征隊が、ほとんど全沿岸を網羅する新しい地図を作成し、その地域の覇権を確実にしたのです。
しかし陸路による南極大陸横断探険がなされたのは1958年になってからでした。
この年英連邦南極横断探検は ビビアン・フックス と サー・エドモンド・ヒラリー(エベレスト初登頂で有名なニュージーランド人)に率いられて開始しました。
これは不成功に終わったシャクルトンによる1914年の遠征計画に沿って立案されたものです。ヒラリーはロス海のスコット基地から、改造された農耕用トラクター4台とそり4台で極点まで向かい、途中にデポや燃料貯蔵所を設けました。
一方完全横断を目的とするフックス隊は、ウェッデル海のロンネ棚氷を8台の雪上車と2台の犬ぞりで出発しましたが、氷河のクレバスと悪天候が重なり、途中で車両三台を放棄しなければなりませんでした。しかし両隊は1958年1月19日に南極点で合流し、ヒラリーのルートを経由して無事ニュージーランドのスコット基地に帰還する事が出来たのでした。
世界初の国際極年は1882年から83年に設定され、その際南極には地球の気象と磁気の観測の研究を行うために十二カ国が十四の基地を設置しましたが、すばらしい成功に終了したため、それ以後50年毎に開催することが決められました。
二回目の国際極年は1932年から33年に設定され、科学技術の進歩は飛躍的なもので、この50年の間隔はあまりにも長すぎました。
アメリカの科学者ロイド・バークナー博士は、1950年に次回の国際協力は国際地球観測年にすべきだと提案し、この提案は熱狂的支持をうけて50数カ国が参加を表明しました。前回の国際極年では北極中心の研究でしたが、今回は南極に重点が置かれる事になりました。12カ国(アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、フランス、英国、日本、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカ、アメリカ、ソ連)が南極大陸に基地を設営する事に同意しました。
1957年6月から1958年12月の期間が国際地球観測年(IGY)に選ばれました。
その理由はこの期間は太陽の活動が最大になるからです。
南極大陸に40の科学観測基地が建設され、もう20余りの基地がその周辺の島々に設置されました。アメリカは地理上の南極点に、ディープ・フリーズ(急速冷凍)作戦の一環としてアムンセン・スコット基地を設けました。
ソ連は地磁気南極点にボストーク基地を建設しました。これらの科学観察はその性質上長期的なものとなり、今日までも続けられているのです。
この時期はまた南極大陸における各国領有権主張が政治的な緊張をたかめた時代でもあります。国際法も大いに巻き込まれて、中には政治的に過激な主張をするいくつかの国が現れました。外交の失敗と軍事力に訴える例が一例ありました。
このような世相の最後にあったのが、世界中の科学的進歩に関する主要な出来事である、国際地球観測年(1957~58)でした。それは12カ国が既に建設された南極基地を利用したり、新たに観測所を建設したりしながら、お互いに協力して集中的な観測計画を立ち上げる事になったのです。1957年の冬には53の越冬観測基地が開設され、記録的最多の基地数となりました。
その内21基地は以後50年間継続して開設されています。
(南極旅行&南極クルーズ3-6)