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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

南極半島

南極半島の北端には夢の様に美しいホープ湾があり、そこへは南極海峡(Anトンarcトンic Sound)に沿って航行しながら入って行きます。この海域周辺には表面が平坦な卓状氷山がたくさん見られ氷山見物の名所となっています。
ホープ湾はイギリスの観測D基地があった所で1940年代に観測が始まり1964年に閉鎖後、しばらくしてウルグアイ基地に引き継がれています。
その隣には1952年に建設されたアルゼンチンのエスペランサ基地があります。この基地は大規模なものでアルゼンチンの軍関係者及びその家族が生活しています。
1978年にこの基地で生まれたエミリオ・デ・パルマは南極で誕生した最初の子供でした。訪問者にとってもっと興味深いのは、基地に隣接したアデリーペンギンの大コロニーです。その背後に聳えるのがフローラ山でここではたくさんの植物化石が発見され現在は保護区域となっています。
そこからそれほど遠くない南極入江のウェッデル海側にはポーレット島があります。小さな火山島で、中央の円錐丘の高さは400mあり、岩場の絶壁にはおびただしい数のアデリーペンギンが繁殖しています。他にもナンキョク・ズグロムナジロヒメウ(キバナウ)の大コロニーやアシナガウミツバメの巣があります。
歴史的に重要なのはここにノルデンショルド探険隊の一部隊員が越冬した場所で、越冬小屋も残っています。
(もう一つの小屋がホープ湾の防波堤の近くに残されています)

南極半島西岸を南下して、ゲーラッシェ海峡を通過する時しばしばザトウクジラの群れを見る事があります。ここから南の海域ではミンクやシャチなど他の種類のクジラ類も見かけるチャンスも高く、この地を訪れる人々を楽しませてくれる場所が色々あります。クーバービル島はベルジカ号探検隊長エイドリアン・ゲーラーシェがフランスの提督の名前にちなんで名付けたものですが、苔で一面に覆われた岩肌が露出していている小島です。ここではゼンツーペンギンが大規模なコロニーを形成しており、ナンキョクトウゾクカモメやナミオオトウゾクカモメ、アシナガウミツバメなども子育てをしています。

さらに南下するとその名前の通りの素晴らしい湾、パラダイス湾が見えてきます。
そこには小規模のアルミランテ・ブラウン基地(アルゼンチン)がありますが、1984年に越冬を嫌った医師による放火のために建物の一部は消失しています。
また、やはり湾内半島側のそう遠くない場所のウォーターボート・ポイントにはチリのガブリエル・ゴンザレス・ビデラ基地があります。この基地は騒々しいゼンツーペンギン・コロニーの真ん中にあり、異常なほど多数のサヤハシチドリがこぼれおちた雛への餌や屍肉をあさっています。
ウォーターボート・ポイント(給水船)の名前は、1921年に二名のイギリス人科学者が本船への給水ボートを利用して越冬した事からきたものです。

そこから遠くない所にはヴィンケ島があり、麓が避難投錨地のポートロックロイです。(通常は雄大なノイマイヤー海峡を経由して到着します。)
ポートロックロイはイギリス政府が第二次大戦中の1944年に設けたもので、ドイツ船の動きを監視する戦時極秘作戦の一環として「A基地」と呼ばれました。
この作戦名は有名なパリのナイトクラブ「バル・タバリン」にちなんで「タバリン作戦」という暗号名がつけられたものです。闇に閉ざされた南極の冬をここで過す羽目になった作戦隊員たちを配慮した命名と言えます。
この基地は第二次大戦後1964年まで気象観測基地として使われました。
高い山に囲まれたこの場所では大規模なゼンツーペンギンの集団営巣地があり、海辺にはズグロムナジロヒメウの小さな繁殖地があります。ウェッデルアザラシの姿もしばしば見かける事が出来、浜辺に散らばっているたくさんのクジラの骨からはかつての捕鯨業者の活動をうかがうことができます。

南極半島部分で唯一の通年アメリカ基地がアンバース島のアーサー・ハーバーにあります。パーマー基地は1965年に設立されたもので、1820年頃サウス・シェトランド諸島で創業していた、米国のコネチカット州 出身のオットセイ猟師、ナタニエル・B・パーマーにちなんで名付けられました。パーマー基地は夏期には40名、冬期は10名の収容が可能で、鳥類やアザラシ類などの海洋生物の生態研究に理想的な場所と言えます。

パーマー基地沖の二つの小さな島にはアデリーペンギンが営巣しています。
リッチフィールド島は保護区になっていて訪れる事は出来ませんが、トーガソン島は観光客も探険ができ、カニクイアザラシやヒョウアザラシも見かけます。
多年に亘り生態学の調査地になっているリッチフィールド島の方が、観光客がしばしば訪れるトーガソン島よりペンギンの数が減っている現象が出ていますが、これはおそらく前者の方が雪に覆われやすい地形のせいだと思われます。

1989年、アルゼンチンの補給船バヒア・パライソ号がパーマー基地付近で座礁し、乗組員と乗客が避難した事件が起こりました。約1,000立方mの燃料やガソリンが流出しましたが、その多くは軽油で幸い深刻な長期的環境破壊につながらずに済みました。ここからさらに南に下ると、ブース島と南極半島本土に挟まれて、深く細長い切り通しのようになったルメール海峡に達します。
ルメール海峡はこの海域で最も美しいといわれる場所で、氷に遮られなければ、両側の切り立った高い崖の間をすり抜ける様に航行するという生涯忘れられない体験を味わう事が出来るでしょう。
海峡内に浮かぶ海氷の上にはよくアザラシが見られ、ミンククジラに出会う事もあるかもしれません。
ルメール海峡の南にはプレノー、ボブガード、ピーターマンといったペンギン・コロニーのある島がいくつかあります。ゾウアザラシの若い雄たちもよく平たい岩場で日光浴を楽しんでいます。フランスの探検家シャルコーは第一回目の探検 (1903~05) の際にブース島で、第二回目の探検 (1908~10) にはピーターマン島で越冬しました。

そのすぐ南にあるのが、ほとんど万年雪に覆われた火成岩質の小さな列島、アルゼンチン諸島です。ここには1934年にジョン・ライミル率いる英地質学調査隊が越冬して以来、イギリスが長い間足跡を残しました。1947年には同諸島内のガリエンデス島に移築され、ファラデー基地と呼ばれる恒久的南極観測基地となり、南極半島部分では最古の現役基地でした。1995~96年のシーズンに英国からウクライナに引き継がれ、今ではベルナツキー基地と呼ばれています。

南極圏(南緯66°33’)のすぐ南にあるアデレイド島はイギリスのロテラ基地がある所です。ここでの科学調査は専ら地球物理学及び大気圏物理学が主で、人工衛星受信システム「ARIES(南極環境科学映像受信)システム」が用いられています。
最近になってロッキードC130型輸送機の様な大型航空機の受け入れも可能な、岩石を砕いて敷き詰めた915mの滑走路が建設されました。ここはいわば南極のコミュニケーション・センターとなっています。

マルガリータ湾のストーニントン島は面白い歴史を持っています。リチャード・E・バード提督三度目の南極遠征 (1939~41年、米国南極海遠征隊を指揮) の際に設置された東基地(Easトン Base) があった所です。ちなみにリトル・アメリカIIIと呼ばれた西基地はロス棚氷上に設けられました。

東基地は第二次大戦後の1947~48年にはロンネ南極観測隊により再び活用されました。フィン・ロンネ(前回のバード遠征隊員でもあった)は志願者の隊員とベテラン・パイロットを集め、船と3機の飛行機を米陸軍から借り受け、最後の私的大探険隊といわれた探険の為に5万ドルを越す資金を集めました。この探険は南極史上特筆に価するものになりました。その業績のひとつは南極半島をウェッデル海まで横断したことです。ロンネ探険隊の中には初めて南極大陸で越冬を果たした女性二人、ロンネ隊長の妻エディスと遠征隊のチーフ・パイロットの妻ジェニー・ダーリントンが加わりました。そこから数百メートル離れた場所にはイギリスのD基地 (1945から75年まで稼動) 跡があります。
1989年に東基地は南極条約で史跡に指定されました。米国の国立公園管理局及び国立科学財団からの代表数人と、英国南極調査隊の二人の隊員が、1992年に基地を訪れて大掃除と環境破壊となるゴミの除去を実施しています。越冬地を訪れると今でもその周辺には第一次世界大戦の頃の戦車やトラクター、梱包用木箱に収納されたままの飛行機エンジン、缶詰、石炭や干草の山などがあって、訪問者の興味を煽ってくれます。ただ残念な事に、ストーニントン島は他の島々よりかなり南に位置するため、厳しい氷に遮られて船で到達するには困難な島でもあるのです。

(南極旅行&南極クルーズ2-13)