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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

ノルウェーの捕鯨業者

ノルウェーの捕鯨業者たちは1904年以来、サウス・ジョージア島にやって来て海岸に多数の処理基地を建設しました。彼らの主要目的は鯨油でしたが、後にそれ以外の製品も造る様になりました。1909年にの英国の治安判事がグリトヴィケン駐在となり、そこで始めて法律が施行される事になりました。治安判事の配下には税関吏、アザラシ監視官、無線通信員、整備士、コックなどがいました。
治安判事の主要任務は捕鯨業界の監督管理で、捕鯨業者の借地料や入漁免許の条件が守られる様に厳しく指導する事でした。
(しかし治安判事の任務には資源保護が含まれていた形跡はありません)

法律が施行されて程なく宗教もこの島に届きました。
1913年、グリトヴィケンに教会が建立されたのです。
この教会は1931年まで布教活動を続けていたもので、近年になって修復されました。捕鯨業者のほとんどがノルウェーの出身だったので最初の牧師もノルウェー人でしたが「捕鯨業者はもっと信仰を持つべきだ。」と悲しげに語っていたとの記述がなされています。

捕鯨漁の全盛期である1920年代にはサウス・ジョージア島では7箇所の捕鯨基地が操業を行っておりました。
1904年から1965年の間に合計175,000頭のクジラがサウス・ジョージア島近海で捕獲されたと推定されます。南極海全体では同時期で合計150万頭にのぼります。商業捕鯨は1965年に「捕り尽くし」という単純明瞭な理由で終焉を迎えました。

商業捕鯨が終焉すると、権威をふるった14人のグリトヴィケン司令部は自分たちを管理する以外仕事が無くなり、英国南極調査局の要員と交替になりました。
一方、アルゼンチンは1925年にサウス・ジョージア島とサウス・サンドイッチ諸島の領土権を独自に主張、1982年4月にフォークランド紛争の一環としてサウス・ジョージアを3週間に亘って占領しましたが、イギリス軍に追い払われました。

イギリスとアルゼンチンの紛争(フォークランド紛争)の後を受けてグリトヴィケンにおけるイギリス政府の駐留は小規模の英国陸軍駐屯隊に昇格しました。
司令官は行政長官を、医務官は郵便局長も兼務します。他にも港長(こうちょう)がいて漁船や訪れるクルーズ船を扱っています。西北端にあるバード島には英国の南極観測基地があり、数名の科学者が駐留をしています。

1993年には、英国が200海里排他的経済水域制がサウス・ジョージア島およびサウス・サンドイッチ諸島周辺にも宣言し、この海域での漁業には「南極の海洋生物の資源保護に関する条約(CCAMLR) 」合意の事項が適用されるようになりました。

(南極旅行&南極クルーズ2-7)