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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

アザラシ猟科学者

アザラシ猟科学者(SEALER-SCIENTISTS)

 

次の16年の間、新しいアザラシの猟場を見つけるためアザラシ猟師たちによるいくつかの試みが行われました。これらのほとんどの航海は、イギリス捕鯨会社のエンダービー・ブラザーズ(元エンダービー&サンズ)によって引き受けられました。その経営者は、船長たちに新しい地理的発見をしてもらい、それが利益をもたらすことになると熱心になりました。結果的に、新しい島々が発見され、何千マイルもの新しい海岸線が海図に描かれました。そして新しい大陸の輪郭部が形になり始めました。

 

しかし、これらの「アザラシ猟科学者」の最初の一人は、エンダービー・ブラザーズの人間ではありませんでした。それはブリッグ型の中古船「ジェーン号」の船長ジェームズ・ウェッデルでした。ウェッデルは、サウスシェトランド諸島での1820~21年と1821~22年アザラシ猟シーズンに加わり、3回目の遠征費用のために十分なお金を稼いでいました。オットセイの皮を所有していたウェッデルもまたエンダービーのように新しい発見に興味を持つ、熱心な探検家であり、博物学者、地理学者でもありました。

 

ジェームズ・ウェッデル

 

彼はまた、最初の南極自然保護主義者であり、少し賢明な管理でサウスシェトランドオットセイの個体数は約10万頭の毛皮の持続可能な年間収穫を提供できたであろうと指摘しました。しかし、代わりに貪欲が繁殖個体群を破壊しました。

 

ウェッデルの最初の目的地は、少ししか探査されていないサウスオークニー諸島でした。1823年1月15日、彼は新種のアザラシの皮を6枚収穫しました。これは後に自らの名前が付くウェッデルアザラシです。ウェッデルは何頭かのオットセイを見つけ、島を注意深く海図化し、未知の海域も調査し始めました。そして彼はしばらく南へ向かい、サウスオークニー諸島とサウスサンドウィッチ諸島の間の海を調べまわりました。最終的に彼は、もし新しい土地があるならそれは南にあるに違いないと決め、もう一度南へ進路をとりました。そうして1823年2月17日までウェッデルは、ウェッデル海の奥深くにいました。  2月20日、西経34度16分、南緯74度15分に位置し、これまでの誰よりも南に到達しました。ウェッデル海で誰もが、その遥か南に再び到達するまでには、80年以上かかりました。

 

この時期アザラシ猟師たちは、少なくとも5回は南極大陸に上陸しました。しかし、どれもアザラシを見つけることに至らなかったので、これらの重要な歴史的出来事は断片的な記録になっています。ジェームズ・ウェッデルと対象的に、自分の経験を秘密として書いたアザラシ猟師は、ほとんどいませんでした。アザラシ猟に良好なビーチについての場所は、アザラシ猟の成功をにぎる主要な鍵でした。

 

(南極旅行/ポセイドン南極読本6-4)