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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

第6大陸の発見

第6大陸の発見(THE DISCOVERY OF THE SIXTH CONTINENT)

 

南極大陸は、1820年1月16日(新暦の1月27日)にファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン指揮下のロシア南極探検隊によって初めて発見されました。

 

ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン

 

1820年1月15日、ベリングスハウゼンは、南極圏(グリニッジ子午線のすぐ西)を横切りました。彼と乗組員達が南極圏を越えるのは歴史上で2番目のことでした。翌日、ベリングスハウゼンは大規模な棚氷によって南へ行くことができなくなりました。これはフィニブル棚氷で、人間の目で南極大陸を最初に目撃したのはこの時でした。次の3週間の間に、ベリングスハウゼンは南極圏をさらに2回通過し、毎回大陸の氷の障壁を目撃しました。1月27日、彼は自分の位置を南緯69度21分、 西経2度14分と記録し、2月5日には南緯69度07分、西経15度00分と記録しました。どちらの時も彼は南に巨大な棚氷があり、東西に遠く離れていることに気付きました。 彼は毎回、南極大陸の沿岸からほんの数マイルしか離れていなかったので、棚氷は間違いなくプリンセス・アストリッド・コーストを縁取っているものでした。

 

ヴォストーク号とミルヌイ号

 

ベリングスハウゼンは翌年も探索を続け、ジェームズ・クック以来の南極を周航した最初の探検家となりました。1821年1月21日、ベリングスハウゼンは、南緯69度53分に達し最も南の島、ピョートル1世島を発見しました。彼は1月28日に南緯69度43分の位置で再び南極大陸を見て、それをアレクサンダー海岸と名付けました(現在は、アレクサンダー島と呼ばれています)。

 

一方、ウィリアム・スミスがサウスシェトランド諸島を発見した後、イギリス海軍は、その新しい土地が大陸の一部なのか、それとも一連の島々なのかを判断するために、エドワード・ブランスフィールドを派遣しました。またブランスフィールドは、天候や磁気の測定も命じられました。1820年1月16日彼はリビングストン島を見つけました。1月22日にはキングジョージ島へ上陸し、またしても、そこをイギリス領土として主張しました。ブランスフィールドは、南西への航海中にデセプション島、タワー島、ブランスフィールド海峡を発見しました。1月30日、ブランスフィールド(または彼の乗組員)は、彼が「トリニティランド」と呼んだ南極半島の山々に最初に目を向けました。

 

ブランスフィールドは1820年3月中旬まで探索を続け、ギブス島、オブライエン島、エレファント島、シール島、クラレンス島の島々を発見、また歴史上初めてウェッデル海へ航海した人物となりました。

 

(南極旅行/ポセイドン南極読本6-3)