探検の歴史
探検の歴史(HISTORY OF EXPLORATION)
未知の南方大陸「テラ・アウストラリス・インコグニタ」の存在についての説は、対称性と均衡が好きな古代ギリシャ人にさかのぼります。彼らは、北半球の大陸と均衡をとるために、南にも大陸がなければならないと仮想していました。そして2000年後の偉大な探検時代で、ヨーロッパ人を遠い南半球へ連れていくことになります。
1520年、フェルディナンド・マゼランは、現在彼の名前が付いている海峡を航海し、ティエラ・デル・フエゴが南の大陸の北端部なのかもしれないと思いました。58年後の1578年、サー・フランシス・ドレークが私掠船(海賊船の一種)ゴールデン・ハインド号でマゼラン海峡を航海、太平洋側では、厳しい天候に見舞われティエラ・デル・フエゴの南へ、さらにホーン岬周辺の東へと飛ばされました。そしてマゼランの「大陸」は、単に南アメリカの先端にある島々の一部であることが明らかになりました。確かに南の大陸があるならば、もっと遠い南でなければなりません。
ヨーロッパ人による探検の最初の200年ほどは、ほとんどが商業または新発見されたアメリカ大陸の調査に関する航海でした。初めて亜南極諸島(サウスシェトランド諸島やサウスジョージア島)が、発見されたのは偶然のことでした。南の大陸の組織的な調査は、18世紀半ばまで行われていませんでした。
(南極旅行/ポセイドン南極読本6)