歴史
歴史(HISTORY)
サウスジョージア島は大自然の楽園の1つであり、歴史的遺産が豊富なユニークな場所です。サウスジョージア島は南極海に位置し、南極の冷たい海と北の暖かい海の間にあります。この対照的な影響によって島の並外れた自然史に貢献し、豊富な海洋生物と鳥類を手助けするユニークな環境を作りだしています。
豊富な野生生物は、人間を魅了し、サウスジョージア島を持続不可能なアザラシ猟および捕鯨産業の中心地にしました。島はまた、アーネスト・シャクルトン卿のような偉大な極地探検家たちの南極への玄関口でもありました。サウスジョージア島には英国のディスカバリー探検で行われた科学的研究によって、かつてイギリス人とノルウェー人の捕鯨者コミュニティがあった無人の捕鯨基地、そしてフォークランド戦争の歴史における重要な役割など多様で相反する人間の遺産が解明されました。
サウスジョージア島の激動的な人類の歴史は1775年のキャプテン・クックの訪問から始まりました。当時、島とその周辺の島々で多くのアザラシとクジラが発見されたという報告があり、イギリスとアメリカの実業家の注目を集めました。彼らは海洋哺乳類の捕獲は無限であると考え、そこから利益を得ようと切望していました。
科学者たちは1882年に島に初めて拠点を置きました。今日では英国南極観測局のスタッフが活動する2つの恒久的な研究基地があります。
1916年、アーネスト・シャクルトン卿は無事に島を横断し不運のエンデュアランス号探検の窮状を世界に知らせました。その後、彼は1922年に島で亡くなりグリトビケンの墓地に埋葬されました。
1982年、アルゼンチンの侵略により島に戦争が起こりました。戦争が終わった後、2001年まで軍の駐屯地が残っていました。
約200年間、サウスジョージア島では最初にアザラシ猟が行われ、次に捕鯨産業が1960年代半ばまで行われていました。しかしアザラシ猟と捕鯨が終わった後も、サウスジョージア島は人間の侵入による長期的な影響に苦しみ続けてきました。今日、サウスジョージア・ヘリテージ・トラスト(SGHT/South Georgia Heritage Trust)は、過去に持ち込まれたドブネズミの影響で減少したサウスジョージアの鳥の個体群を回復させる取り組みを行っています。
サウスジョージア・ヘリテージ・トラスト(SGHT)は、島の自然と歴史的遺産を将来の世代のために残したいと考えているすべての人々と協力し、環境へのダメージを取り除き、歴史的遺跡をきれいにして保存しています。最も重要なことは、画期的なSGHT生息地回復プロジェクトを実施したことにより、在来種の鳥を絶滅から保護しサウスジョージア島に営巣する海鳥の数を増やしました。このプロジェクトはネズミを完全に駆除することを目的とし、先ずヘリコプターを使用してネズミに有毒なエサ約300トンを島に投下しました。このエサは従来の野生生物には害はありません。エサの投下は2015年に完了し引き続き監視中ですが、今後数年間でネズミの完全な駆除が宣言される見込みです。これは海鳥にとって大きな利益になります。科学者たちは今後数十年、数世紀の間に最大1億羽の海鳥の個体数が増加すると予測しています。
(南極旅行/ポセイドン南極読本4-1)