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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

「フランスの王女」の伝説

「フランスの王女」の伝説(Legend of the ‘French Princess’)

 

追放された王女の伝説は、いくつかの説があり、どれもロマンチックで、島に育つギョリュウモドキ(ツツジ科の植物)に関連した、おそらく初期の捕鯨者やアザラシ漁師によって伝えられたものです。

 

伝説によると、石の暖炉や近くの水辺の貝殻で舗装された小道、亜麻の茂みにあるボロボロの台、一度、明らかにきれいに植えられた防風林、はびこったキギョリュウモドキは、高貴な家柄で、「フランスの王女」または「ジャコバイトの王女」と描写された孤独な女性の家の跡であった事を特定しています。

 

 

ナポレオン戦争が終わってから10年後、この姫は、当時のフランス王政を滅ぼすと脅迫した陰謀に巻き込まれたと言われています。一説では、彼女は、「いとしのチャールズ王子」と言われるチャールズ・エドワード・ステュアートの娘だったと言われいますが、その娘は、フランスで亡くなっているので、その説は、信憑性が低いと思われるでしょう。別の説では、追放された姫は、スコットランドの貴族の所へ嫁ぎ、イングランドやスコットランド、フランスの王位を主張したと述べられています。何らかの理由で彼女に危害のない方法で送り出すことが望まれました。そして彼女は、船長の世話で海外へ送られ、最終的にキャンベル島へ上陸することになりました。彼女が入江でキャンプするために小さな芝小屋が建てられていました。そこでは、1年後に飢餓で亡くなった遺体が発見されたと言われています。その小屋の近くには、スコットランドのギョリュウモドキの一帯が見つかりました。伝説によると愛する人を思い出しながら姫によって植えられたと伝わっています。

 

 

(南極旅行/ロス海・亜南極6-4-7)