植民地の最後
植民地の最後(Final view of the Colony)
集落からの撤退はポートロスに停泊しているHMSファントム号の監督の下で行われました。船の士官であるR.E.マローンは、会社に関連する事務報告書を書きました。そしてそれは誤解させられ、大いに失ったと彼はいいました。マローンによると、エンダービーは少なくとも入植者の健康を過大評価していませんでした。というのも1年の大部分は雨と風が強い天候でしたが、気候が安定していたため入植者たちは元気な様子でした。牛たちの健康状態も良好でした。
6月には牧草が四方八方に生えてきましたが、風によって生長するだけでした。農場は失敗で、カブが悲惨な大根に見えるなど、たいした大きさに成長しませんでした。マローンはまた、シドニーから島に運ばれた3頭の馬は地面が湿地帯であったため役に立たなかったと記述しています。
捕鯨者たちの間でも不満がありました。ファントム号が島に到着して間もなく、ハードウィック号は鯨油がほとんどない状態で4ヶ月間の食料探しから戻ってきました。乗組員は暴動、病気、食料不足で悲惨な状況です。船長は島の沖合で3週間暴力を受けていて、停泊地に行くことができなかったと言っていました。
すべての説明から、チャールズ・エンダービーは植民地を統治し、食糧供給を計画し捕鯨基地を管理するという任務に適していませんでした。他の多くの企業と同様にオークランド島の南洋捕鯨植民地は主に誤算による失敗でした。
(南極旅行/ロス海・亜南極4-2-4)