サンドイッチ諸島
サウスサンドイッチ諸島はほとんど訪れる人もなくあまり知られていません。
約40㎞の海域に11の活火山の島が連なり、ほとんどを氷河が覆い、天候も地勢も悪くて荒れ果てた場所です。
諸島の東はサウスサンドイッチ海溝で、大西洋一深い場所(8,265m)です。
諸島は海底から3,000m位まで成長した海底火山の頂上部分で、小さなサウスサンドイッチ・プレートがスコシア・プレートの下に滑り込む事により起きました。
大きさは最大のモンターギュ島(12㎞x10㎞は90%以上が氷河に覆われている)で、最小はレスコフ島(1.5㎢以下)です。
島の位置がウエッデル海からの海流の流れと並行しているので、緯度から言えばさらに南にあるサウスオークニー諸島やサウスシェトランド諸島より寒冷です。
キャプテン・クックがサウスジョージアから南下する途中、1775年にこの列島を発見して、サンドイッチ伯爵(当時の海軍大臣とサンドイッチの発明者)の名を付けました。クック船長は「濃い霧、吹雪、極端な冷気、そして航行を危険に陥れるあらゆるものがある」と表現しました。
彼は垣間見た陸地がはたして列島の一部なのかあるいは大陸に繋がる半島の先端だったのか確信を持てませんでした。
少し南にもう一つ陸地が見えて、当時知られていた最南端の陸地だったのでクック船長は、サザン・チューレ(南の果て)と名付けました。
それが何を証明するものであったにせよ、クック船長はその場所を「世界で最悪のひどい沿岸」と書いています。
1819年にはベリングスハウゼン率いるロシア探検隊が訪れて、クック船長が見たのは実は8つの島群であって、サザン・チューレは3つの島(チューレー、クックそしてベリングスハウゼン)であったことを証明しました。
ベリングスハウゼンはさらに、少し北にあるもう3島も発見して船の士官の名前を付けましたが、その頃ハワイ諸島がサンドイッチ諸島と呼ばれていたので、この島群は後にサウスサンドイッチ諸島と呼ばれるようになりました。
サウスサンドイッチ諸島への最初の上陸は1818年のオットセイ猟師でしたが、その後数年間猟が続きました。
C.A.ラーセンは1908年に捕鯨船の為の避難場所と停泊場所を探している時に来ています。ザヴォドフクキー島で硫黄とヒ素のガスに打ちのめされて何か月も動けなかったこともあります。
最初の本格的科学観測は1964年で、ヘリコプターでしか上陸できないいくつかの島々にも上陸しました。
サウスサンドイッチ諸島最大の呼び物は推定150万番と言われるヒゲペンギンの巨大営巣地です。ザヴォドフスキー島だけでも100万番です。
他にもゼンツー、マカロニ、キングそしてアデリーペンギンの最北端営巣地でもあります。多くの海鳥とオットセイ、ゾウアザラシもここで繁殖します。
寒冷な気候という事は、土壌がある所でも植物や無脊椎動物などがほとんど見られませんが、火山の地熱で温められているところは緑のオアシスが見られます。
36種類のコケ類と10種の苔類がサウスサンドイッチ諸島に生息しますが、その内半数のコケと9種の苔類は地熱のあるところでしか育ちません。
無脊椎動物についても同じことが言えます。
ダニやトビムシなども、通常であればサウスジョージア以南では育たないのが地熱のある所であればここでも育っています。
2001年にモンターギュ島のベリンダ山が、噴火し始めました。最初は火山灰を吹き上げて当たりの雪を染めました。
2002年には溶岩を噴出しましたが、流れは氷冠のところで止まりました。
2006年の前半に新しい溶岩の流れが90mの幅になりました。間もなくその流れは以前の流れと合流して北岸に向かって3.5㎞流れた後、急斜面と雪の上を岩と共に転げ落ちて海に入り、辺りの海水を沸かしました。
この噴火は、氷床の下の火山噴火を観察する機会のほとんどない地質学者の興味を呼びました。さらに、火山が新しい陸地を作りだす様を表しています。
そして、このような荒れた場所でも、やがてペンギンや他のワイルドライフが住み着くのです。
(南極旅行/サウスジョージア島32)