サウスジョージア政府
クック船長が1775年1月17日に英国ジョージIII王の名のもとにサウスジョージアの領有を宣言しましたが、フォークランド諸島属領の一部として大英帝国の領地に正式に加えられたのは1908年でした。
フォークランド諸島属領とはサウスジョージア、サウスサンドイッチ諸島、サウスオークニー諸島、サウスシェトランド諸島そして西経20度から50度までの南極半島を含む南極大陸の一部を意味しました。
1962年の南極条約発効により、サウスジョージア、サウスサンドイッチ、シャグ・ロック、クラーク・ロックはフォークランド諸島属領で残りましたが、南緯60度以南の領土は英国領南極となりました。
1985年にフォークランド諸島属領はサウスジョージアならびにサウスサンドイッチ諸島(SGSSI)と変名されました。
SGSSIはフォークランド諸島とは別の英国海外国土です。国土は「西経20度と50度間の全ての島、陸地で、緯度では南緯50度~60度間である。」と定義されています。
1908~85年の間、サウスジョージアはフォークランド諸島知事により行政管理されていました。
1985年、政府はスタンレー政府にありますが、行政はフォークランド諸島の知事も兼ねる弁務官に移譲されました。
財政長官と司法長官はフォークランド諸島政府の長官と同一人物です。
しかしながら、フォークランド諸島政府とSGSSI政府とは憲法上の繋がりはありません。最高経営責任者(CEO)が政策を扱い、漁業長官でもあります。
CEOは観光・探検も扱い、漁業パトロールと設営も担当します。
外来種の持込みを防ぎ、漁業監督官兼任の環境保護官もいます。
1909年以来、常駐の判事がいます。捕鯨時代には関税官、事務官、保安官などもいました。保安官は仕事がなく修理などを担当していました。判事の主な任務は英国による効果的な占有事実を示すためで捕鯨規則などを執行していました。これらの役人は無線技士、気象台、設営作業員なども兼務で、キングエドワード・ポイントに家族同行するものもいました。
現在は、キングエドワード・ポイントにある英国南極観測局基地の隊長が判事を兼務しています。島では3人の役人が弁務官の代理です。
それらは、漁業保護官、港湾長、税関・入国管理官です。
結婚式を扱う臨時登記官、臨時郵便局員がいる事もあります。
サウスジョージアの法律は英国に準拠しており、法令の見直しが進行中です。
法令の制定およびその他の正式業務はSGSSI政府機関紙に発表されます。
拘置所は1914年にKEPの税関倉庫の建物に作られました。
言い伝えによれば,最初の囚人は脱獄して、KEP背後のデュース山に逃げ登りながら追及者に石を投げました。一晩寒い山頂で過ごした後投降したそうです。
最後の法廷は1962年の密造酒に関するもので、判決は強制労働を含む禁固刑で、おかげで政府の建物のペンキ塗りかえが出来ました。拘置所はキングエドワード・ポイント最古の建物です。
1908年以来、国土の統治は主に天然資源開発の規制化でした。それは捕鯨産業と共に始まりましたが、領海の外で運航する遠洋捕鯨母船の参入で挫折してしまいました。20世紀のゾウアザラシ猟の方はよく規制化され持続可能な状態でした。
現在は、漁業の持続可能な管理法に重きを置いています。
観光の規制化と自然および史跡環境の保護も政府の重要関心事です。
(南極旅行/サウスジョージア島28)