北極探検
この頃から多くの私的探検隊が北極点に到達しました。
往路だけ歩きで復路は飛行機の隊がほとんどで、少数が横断又は同じ道の往復でした。1991年にはクォーク社がチャーターしたソヴィエツキー・ソユーズ号が初めて観光客を乗せて北極点まで行きました。
この航海は引き続き北極海を横断し太平洋側のプロヴィデニアに上陸し、最初の北極点経由北極横断船となったのです。
その後クォーク社はソヴィエツキー・ソユーズ、ヤマル、そして50イヤーズ・オブ・ヴィクトリー(最新の原子力砕氷船)で観光客を毎年北極点にご案内しています。
古代ギリシャの哲学者や天文学者たちは地球が球形であると言う結論に達し、星の動きから地球の北極点の存在を知っていました。季節によって弧を描くように変化する太陽光線の角度を測り、それを球面幾何学に当てはめる事により、地球の表面が寒冷帯、温帯、熱帯に分けられるとしました。
そしてそれが北極圏・南極圏の概念に繋がったのです。
星座の大熊座のギリシャ語名Arktos(ラテン語でUrsa Major)が北極の英語名に繋がり、南極の英名も北極の反対の意味を持つAntarcticと呼ばれるようになりました。南北両極圏は其々約1600万㎢ほどあり、境界線は南北とも緯度で66度33分です。
古代ギリシャ人が知りうる北極地方と、最北の民族であったブリトン人 についての最初の記録は紀元前330に優秀な航海士であり記録家でもあったマッシリアのピテアスがもたらしました。
彼のほとんどの記録は失われてしまいましたが、北方への航海を証明する断片的な記録が残っています。彼は北へ航海し、今の英国に長い間留まり、そこの内陸部分と人々について学びました。それからさらに北への航海を続けてスコットランド沿岸を巡り、オークニー諸島の北端を通り過ぎました。
彼は夏には夜が無く、冬には昼間が無い、チューレと呼ばれていた土地の存在を確認しようとしていました。
記録によると、彼は“障害”に遭遇して目的を達成できなかったようですが、その障害が何だったのかまた、「チューレ」と呼ばれる場所がどこだったのか私達にはわかりません。
ピテウスの旅は60年もかかり、彼の死と共にその探求も絶えてしまいました。
北極への次なる主な探検者は、征服する事が身上の部族であるヴァイキングでした。フィヨルドのあちこちに散らばる集落間の陸路による交通が困難だったので、北の海に耐える船を造らなければなりませんでした。彼らの船のデザインは非常に優秀だったので、1,100年後の今日でも使われているいくつかの船の基本にもなっています。西暦700年から1,000年頃までのヴァイキング拡張時代に、これら屈強の北方人はイギリス諸島からファルー諸島へ、さらにアイスランドへ航海しました。
そこでヴァイキングは隠遁生活をしていた何人かのアイルランド人修道僧たちに会いました。ヴァイキングのフロキ・ヴィルゲルダーソンが最初にアイスランド本島の沖合の島を調べ、インゴルフ・アルネイソンが871年ごろ最初に永住し始めました。現在の首都であるレイキャビクではアルネイソンの記念碑が見られるでしょう。
それから100年以上も後の983年に赤毛のエイリークがグリーンランドを発見しました。エイリークは生まれながらのリーダーであるばかりでなく、荒々しく手におえない性格で戦闘好きでした。
ノルウェー出身でしたが、殺人を犯したことからアイスランドへ逃亡せざるを得ませんでした。アイスランドで結婚し、落ち着くつもりだったようですが、再び口論から人を殺してしまい、家族そろって西へ逃れました。彼の最初の旅は北極探検史の中でも際立っています。
彼らは覆いのないヴァイキング船で、西へ氷のかなたにあるほとんど北極圏内の未知の目的地に向けて船出したのです。エイリークはグリーンランドに3年留まり、周辺の地を調べた結果、植民できると判断しました。
新しい土地が魅力的に聞こえるためにグリーンランドと名付けました。
今でも緑が見えるグリーンランド南西端の谷は当時、もっと暖かい時代だったので確かに夏は緑豊かに草が生い茂っていました。
内陸は標高2,743㍍にも及ぶグリーンランド氷床があります。
エイリークは政治力のある友人の保護を受けアイスランドに戻り、グリーンランドに入植してもいいと思っている家族を見つけました。赤毛のエイリークは偉大なリーダーとして新しい自由な国の首長となりました。
その後、新天地グリーンランドはキリスト教化され450年程栄えたのです。
偶然にも同じころ、私たちがチューレ文化と呼ぶ人々がエルズミア島からグリーンランド北西部に移入し始めて南に広がって行き、ついにはヴァイキングと会う事になるのです。
赤毛のエイリークの息子はどこから見ても父親と生き写しで、その上幸運でもありました。レイフ・エリクソンはグリーンランドにキリスト教をもたらした人です。
さらに西に豊かな土地を見つけた時レイフは“幸運なレイフ”と呼ばれました。
伝承物語のサガの作者はヴァイキングの勇壮な探検物語の中でレイフをずば抜けた人物として描いています。フリチョフ・ナンセンは、「レイフ・エリクソンは、途中自分を利するために逃げることなく、確固たる構想を携えて意識的に大西洋に乗り出した。彼こそ海洋航海史に残るパイオニア的人物であった。」と書いています。
グリーンランド南西部のヴァイキング入植地は不思議なことに15世紀に荒廃してしまいました。
その厳密な原因はまだ断定できませんが、西暦1,000年ごろから天候が悪化していた事は確かです。
⇒北極探検の年表
(北極旅行&北極クルーズ3-2)