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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

カーボベルデの歴史(Cape Verde history)

数百年にわたりポルトガル貿易の中心地であったこの島国には、奴隷売買の暗黒時代を物語る数々のモニュメントが残されています。

 

 

カーボベルデの発見とシダーデ・ヴェーリャの設立

カーボベルデは、1455年にジェノヴァ商人とポルトガルの航海士によって発見されましたが、それ以前は、無人島でした。数年後の1462年、首都としてシダーデ・ヴェーリャが設立され、当時はリベイラ・グランデと名付けられました。

大航海時代には、多くの航海士がカーボベルデに寄港し、様々な遠征をおこないました。シダーデ・ヴェーリャは、ヨーロッパ人が熱帯地方に設立した最初の植民地であり、ポルトガルの奴隷貿易の重要な中継地となりました。

 

カーボベルデは、大西洋貿易の中継地として重要な位置を占めている

島国カーボベルデはアフリカ人奴隷の売買ですぐに繁栄しましたが、1700年代初頭までフランスやイギリスの海賊や私掠船の攻撃でシダーデ・ヴェーリャは悩まされていました。その後、経済の中心は1770年時点で首都であったプライアに移りました。

そこでの顕著な奴隷産業の結果、カーボベルデは世界で最初に発達したクレオール社会を形成しました。

 

奴隷制の終焉とカーボベルデ独立の興隆

9世紀以降、奴隷制の衰退により、カーボベルデは経済危機に陥りました。しかし、中大西洋航路の戦略的な位置にあるため、船舶の補給に理想的な場所であることに変わりはありませんでした。1975年にギニア・カーボベルデ独立党(PAIGC)が独立を果たすまで、カーボベルデはポルトガルにとって重要な位置を占め続けていました。

 

 

【南極旅行/オーシャンワイド南極の手引き】

 

 

 

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