- みんなの南極旅行
2016年1月 南極クルーズ11日間①
★南極大陸への旅
私が海外旅行を始めたのは20数年前。
その頃「南極」など頭の片隅にも思い及ばなかった。
2015年パナマ運河クルーズの折、ある添乗員の言葉が印象的だった。
「南極大陸には絶対上陸すべき。涙が出るほど感動的です。行くのなら年明け、ペンギンの卵から孵ったヒナの子育てが見られますよ」
その時、行くのなら是非上陸したいと強く思いました。
ネットでクルーズライフ社(クォーク社日本地区正規代理店)のサイトにアクセス。
「耐氷船オーシャン・ダイヤモンド乗船・ウシュアイア発着南極クルーズ11日間」
船内のレクチャーは日本語同時通訳・船内アナウンスも日本語あり、これなら安心。
添乗員のいない個人旅行は今回で6回目。
日本から一番遠いアルゼンチン・ウシュアイアまで 夫婦2人で本当に行けるかしら?
丁度帰省していた長男の「どうにかなるよ。二人で行って こいよ」に背中を押されて不安ながらも決心した。
「南極へ行く・それも個人旅行で・・」と言ったら、「へ~ぇ??」とまず驚かれ、「何しにそんな寒い所へ?」「何があるの?」「ペンギン見に行くの?」「シロクマはいるのかなぁ?」「予算は?」 「ツアーでなく個人で行って大丈夫?」等々、親類や友人たちの心配や多少の嘲笑。
孫の「南極! ええなぁ~」の言葉に、考え方は人それぞれ、価値観の問題。
私は兎に角、行ってみたいのだと決断したことを改めて強く心に刻みました。
12月、クルーズライフからクォーク社の確認書やバウチャーが送られてきた。
空港送迎や乗船時の注意事項・南極での服装等々、心憎いまで懇切丁寧。
南極での気温は通常0℃±5℃、しかし天候によっては-10℃になることもあるので、その備えは しておくように。
靴下2枚重ねで3組・防水手袋に予備の手袋・下着やシャツはポリエステルや絹のほうがよい、等々。パルカ進呈なので上着は心配ないが、もし寒かったら・・と思うと嫌が上にも多くなってしまう。アルゼンチン航空の預け入れ可能15kgはオーバー気味。。。
いよいよ明日出発。気分が高まります。
2016年1月4日(月)1日目
カタール航空QR803 22:40発 ドーハに向けて飛び立ちます。
ボーディングパスは大阪~ドーハ、ドーハからブエノスアイレスの2枚、乗り継ぎは黄色い袋に入っている。
ドーハまで12時間15分のフライト。食事2回、乗り物酔い防止の薬のお陰で後はいつものように就寝。
1月5日(火)2日目(ドーハ✈サンパウロ経由✈ブエノスアイレス泊)
カタール、ブラジル・アルゼンチンと3ヶ国、その間にアフリカ大陸と大西洋を飛び越え、18時間50分のフライトです。
04:15 ドーハ・ハマド新国際空港到着(予定より40分早い到着)日本との時差-6時間
ドーハ乗り継ぎは何度も経験している故、空港の様子が分かっていましたが2014年5月からマハド新国際空港に移転していました。
旧空港は駐機場からトランジット・ターミナルまでバス移動でしたが、マハドはボーディングブリッジに横ずけでした。心配していたトランジットも長~い歩く歩道を何度も乗り継いで「Transfers」の方向に進めば案外簡単に進む事が出来ました。
セキュリティ・チェック通過後、Gate & 出発時間を確認。QR773 07:55発 ゲートD24. 乗り継ぎ待ち時間3時間40分。メーン広場には大きなクマ(?)のぬいぐるみがあり、ABCDEのゲートへ其々進むようになっていました。新しく巨大なハブ空港はとても便利で解りやすい空港でした。D24に早々に移動して出発を待ちます。
ドーハよりQR773 07:55発 アルゼンチン・ブエノスアイレスへ
途中、ブラジル・サンパウロ経由で18時間50分の予定。
中継地のサンパウロまでが11,545km、サンパウロ→ブエノスアイレス1,722km、長帳場のフライトです。ほぼ定刻離陸。
8:54(離陸より7時間位か・・?)QR773便は、赤道とアフリカ大陸との交差する大西洋へ出ようとしていました。帰国して世界地図で確認してみたら「ガボン」という聞いたこともない国が記されていました。近くには南に「コンゴ」、北に「カメルーン」がありました。
南半球の大西洋横断! 未知の世界です。
QR773 ドーハ・ブエノスアイレス線は座席3・4・3の最新機材。中4席の通路側を指定しました。結構ドル箱路線らしく、ほぼ満席状態。
次に気が付いた時はもうすぐサンパウロ。サンパウロにも予定より早めの到着。
乗客は90%降りてしまいました。
乗務員の交代、チケットの確認、機内の清掃と慌ただしく済ませて、早や乗客が乗り込んできました。ここサンパウロでもほぼ100%に近い搭乗率。離陸すれば3時間弱のフライトでブエノスアイレスに着きます。
20:20 ブエノスアイレス・エセイサ国際空港(正式名 ミニストロ・ピスタリーニ国際空港)に到着。(日本との時差―12時間、昼と夜が真逆になりました)
入国手続きでパスポートを提示、顔写真、親指の指紋採取。ターンテーブルでスーツケースをピックアップ。懸案の税関申告。昨年から廃止されたというが、ネットで調べたら依然として税関申告書は存在するらしい。ネットの書き込みでも飛行機で配られたから書いて用意したのに取られなかったとかレーンによって取られるところがあった。とか色々。もしもの為に用意だけはしておかないと、クルーズライフの藤原氏に無理を言ってひな形を伝授してもらった。
必要ありませんでした。(藤原氏もそう言われたのですが・・)取り越し苦労でした。
荷物全部X線に通して通過!
ドアーを出ると予約をしていた車を探していると小柄な初老のおじさんが「やぁ」と言わんばかりに手を挙げて駆け寄ってきた。挨拶を交わし駐車場へ。
空港からブエノスアイレス市内まで1時間強走ったように思う。
REGENT PALECE HOTEL 21:55チェックイン。
明朝の国内線空港送迎も彼が来てくれるとの事。
シャワーを浴び、荷物の整理をし熟睡、やはりベッドは快適です。
1月6日(水)3日目
国内線のホルヘ・ニューベリー空港は市内より20分程度。
アルゼンチン航空AR1878 離陸は05:05、朝一番のフライトが30分も遅れるなんて・・日本では考えられないこと。飛び立ってすぐ眼下にラ・プラタ川。
アルゼンチンとウルグアイの間を流れる川で、パラグアイ川・パラナ川・ウルグアイ川の三大河川から成る大流域の河口部になります。河口部は全幅227kmと海のように広い川幅です。
5:30 雲間より朝日が昇り美しい朝焼けが見えました。(機上より)
ウシュアイア国際空港(マルビナス・アルゼンチン国際空港)
1995年に開業した滑走路3,030mを有する国際空港です。
ウシュアイア市内まで4km、ビーグル水道に突き出た埋め立て地です。
着陸時窓外に波立つ海が迫り、誰からともなく拍手が沸き上がりました。
空港から見えたオリヴィエ山(1,300m)も歓迎してくれているように思いました。
大阪から23,859km、南極大陸手前のサウスシェットランド諸島まで1,000km。
世界最南端の都市に3日間かけてやってきました。
風が強く、昨夜のブエノスアイレスの生暖かい湿った感じとは大違い。
ピリッと身の引き締まる思いです。
ルンボ・スール社の送迎バスに乗り込み、各々指定されたホテルに向かいます。
私達はH・アルバトロス! 町の中央に位置し、観光桟橋も目の前、立地条件の良い4つ星ホテルです。
暫く街中を散策することとしました。
サン・マルティン通りを西に。黄色く塗られたメルセー教会、土産屋、坂や階段、家々の庭には夏や春の花々が競うように咲いて、短い夏を謳歌しているようでした。
12:00 チェックイン、午後、観光桟橋より散策開始。
●観光桟橋
マイプー通りには沢山の観光案内所が並んでいました。ここでツアーの予約もできるようです。インフォメーションセンターではパスポートにスタンプと名前を書き込んでもらっていました。
ウシュアイア港には小さな観光船が十数隻。南極へ出かけるような大きさの船も数隻停泊しています。
●世界の果て博物館
1903年 アルゼンチン大統領マヌエル・パルデスの邸宅として建てられ、アルゼンチン国立銀行・ウシュアイア支店として使用されていた建物。
フエゴ諸島の先住民の文化・フエゴ諸島の自然に関するものが展示されています。
●ウシュアイア海軍基地・元監獄・船舶博物館
20世紀前半、フエゴ島に凶悪犯の流刑地が作られました。囚人たちは森林から木材を切り出し、街を造っていきました。木材を運ぶため鉄道も囚人たちによって作られました。
●18:30 説明会
アルバトロスに宿泊している南極乗船者40~50名が集まった。
明日より一つ船で南極目指して船出する仲間たちだ。
この中に日本人が・・とつい探してしまう。
クルーズライフ・藤原氏からの情報だと個人旅行者は、私達夫婦2名・女性同士のグループ2名・単独女性1名、計5名だそう。(他にツアー参加者数十名)
女性2人組に「日本のかたですか」「・・・?」「NO」見事に裏切られた。
ホテルでは会えるだろうと高を括っていた。
「ハ~イ エブリボディ・・・・・」エクスペディション・スタッフのハイテンションな説明が始まった。
「ここに皆さんの船室の一覧表があります。ご自分の船室のナンバーを確認してください」
船に直送する荷物に、船室番号と名前を書き込んだクォーク社の黄色い「乗船用荷札」を付けて明朝9:30迄にレセプションに出してください。この荷物に出会えるのは皆さんが乗船してからです。それまでに必要なものは手荷物にしてください。7日15:30、桟橋入口の駐車場まで徒歩でお越しください。「ルンボ・スール社」の送迎バスで客船の乗船口までお送りします。
その他諸々、多分このような説明だったと思われます。(事前にお送り頂いた南極乗船ガイドはありがたい)
1月7日(木)4日目
●ティエラ・デル・フエゴ国立公園満喫&「世界の果て鉄道に乗ろう」
乗船までの時間を利用して、ネットで予約したツアーに参加しました。
ツアー催行会社・グレイラインアルゼンチン。ツアーは多数の予約会社の混載らしい。アルバトロスからも後4人ほど同じツアーに参加した。
ティエラ・デル・フエゴ国立公園の入場料は170$。ややこしいのはこの$表示! アルゼンチンの通貨単位はペソ=$で表示してある。
※ここで両替について記しておきます。
アルゼンチン・ペソは日本円からの両替NG。US$を持参する事。両替も必要最小限にするように。再両替は出来ません。殆どのところでUS$が使用可能。又、南極船内の支払いはすべてUS$。
以上のような助言を頂き、両替はしませんでした。
殆どのところで、1US$=13AR$(ペソ)、スーパーではおつりは現地ペソで返ってきたが、レストランではチャラでした。(いや、これはチップとして扱われたのかな?)
●ラパタイア湾
国立公園最南端にあるラパタイア湾は、先住民の言葉で「良い木材」の意。ビーグル水道に面した湾です。
アルゼンチン国道3号線の最南端、南北アメリカ大陸を縦断するパン・アメリカンハイウエイの終着点です。ブエノスアイレス 3,079km・アメリカ アラスカ州 フェアバンクス迄17,848kmの標識。皆争って写真を撮っていました。ラパタイア湾までは木道を周遊しながら、のんびりと散策を楽しみました。
穏やかな小春日和!(イヤ、この地は夏なのです)
●アシガミ湖
1960年に国立公園に指定されたティエラ・デル・フエゴ国立公園はアルゼンチンとチリに跨っています。80種以上の動物、南極ブナの森林が楽しめるようですが、残念ながら私達は動物には出会えませんでした。
無数の湖が点在し、美しい川がゆったりと流れている景色を眺めながら、アシガミ湖に着きました。
この湖の向こうはチリ領だそうです。公園内にあるレストランで休憩。
●世界の果て号
100年前に囚人たちによって切り倒された切り株(高さがまちまち、夏には地面すれすれ、冬には雪の積もった高さで切られるので長い) 大木の生い茂る原生林であったのだろう。
ジグザグのピポ川の流れは美しく緩やか。馬が数頭草を食んでいました。
途中“マカレナ駅”15分の停車。山側の小さなマカレナの滝を見学。反対の川沿いには、先住民YAMANAS族の生活様式を再現したレプリカを見る事が出来たようですが、時間的に両方は無理でした。交差する列車を見送って、私達も朝の「世界の果て鉄道駅」へ、1時間弱の列車旅でした。
ツアーは8:00ピックアップから、4時間の予定と記載されていましたが、帰着は午後2時頃でした。15:30の集合にはあまり余裕がありません。遅いランチとして、ピザを注文。気忙しく戴いて、サン・マルティン通りでお土産を買い、港の駐車場へ急ぎました。
●乗船
駐車場から見た桟橋の様子はとても穏やか。南極クルーズに出る船も数隻停泊しているようです。乗船客は前泊のホテルからバスで(私達のホテルはすぐ傍なので徒歩で)駐車場に集まってきます。駐車場から桟橋までは目と鼻の先のように見えますが、すべてバス移動です。
岸壁にはパンフレットで見知っている「オーシャン・ダイヤモンド」が横付けされている。
白と青の船体に“Quark Expeditions” と船運行会社のマークが大きく書かれています。
タラップ(豪華大型客船とは大違いですが・・)を昇り、船内に入ったところで、「ようこそ、いらっしゃいませ」保阪瑠璃子さんが出迎えて下さった。
「下谷です。あまり英語が出来ませんのでよろしくお願いします」
「そのために私がいるのですから・・ 心配ありませんよ」と、優しく心強い言葉をいただいた。
私達がこの船で南極へ個人旅行をしようと決めた大きな理由に乗船すれば南極講座や各種イベントは日本語同時通訳でレクチャーがあり、船内放送も英語の後日本語放送がある。(後は何とかなるだろう)
出発前、オーシャン・ダイヤモンド号には保阪氏とYUKIE HAYASHIの2人の日本人が乗船していると、夫がネットで調べていた。
林由希恵氏はクォーク・エクスペディションズ社のエクスペディション・チームの一員として乗船。
乗客の便宜を図るため、㈱クルーズライフ(クォーク・エクスペディションズ社・日本地区正規代理店)より派遣されているのが、保阪瑠璃子氏。(乗船後詳しく承知する事となったことです)
保阪氏が同時通訳や日本語放送の認を務めていた。
後々、彼女には一方ならぬお世話になることとなりました。
4階レセプションでパスポートを提出。これで乗船手続き完了。
パスポートは下船時まで預けることになっています。
●私達のキャビン「414」
乗船中の客室担当マルコスと握手。早速くっついていたベッドを離していただくようお願いした。
スーツケースもすでに運び込まれています。
クルーズライフに予約時4階の真ん中辺りの部屋を一存で希望して414に決まった。
ドレーク海峡が恐ろしい、一番揺れが少ないだろうとの理由からでした。
夫はもっと上の階がいいと相当不満。同じタイプの部屋の場合、ツアーの募集では4、5、6階と代金が上昇する。クルーズライフでは同一料金である。同じことなら上階がいいらしい。
「なんで、せめて5階にせんのや~」となお不満。5階は周回デッキに面しているし、6階などもってのほか(揺れる!)と我を通した。後に4階にして良かったと二人して悟った次第です。
部屋は上の写真の他にドアー入って右側に1間半位のクローゼット。
クローゼット向かい左側に洗面・トイレ・バスタブ付き浴室があります。
テレビ・電話・セーフティボックス・ヘヤードライヤー・バスローブ・浴室アメニティ完備。
戸棚や鏡付き机の下、クローゼットの中・洗面所の棚などに沢山の引き出しがあり収納スペースも十分。頑丈な留め具が付いています。
キャビンは18℃~26℃に調整できる機能があり快適です。
「4階ザ・クラブに飲み物とスナックを用意しておりますのでご利用ください」とアナウンス。
23時頃からドレーク海峡に入る予定と聞いている。早めに荷物の整理をしておかなければなりません。10日間スーツケースの開け閉めをしないよう、全部取り出し、カメラや眼鏡、おやつ・・何もかも引き出しの中に収納しました。高波で揺れた時、飛び出さないよう、落下しないよう、出しっぱなしは禁物です。
●スタッフ紹介
16:30 5階メインラウンジに全員集合。
保阪瑠璃子氏がイヤホンガイドを、名前をチェックしながら配っている。
今回の日本人は、ツアーで計20名とクルーズライフ(個人旅行者)5名。総勢25名でした。
イヤホンガイド(同時通訳の為に)を受け取って思い思いの席に着く。
エクスペディション・チーム(探検チーム)の紹介!
エクスペディション・リーダーのデビッド・ウッディの司会で次々紹介されていく。歴史学者・海洋生物学者・鳥類学者・・・・エクスペディション・コーディネーターとかガイド etc. etc. そうそうたるメンバーの肩書と名前が紹介され、檀上はいっぱい。
安全と船内生活に関するウエルカム・ブリーフィング。ウッディから、
①天候や氷の状況により、寄港地や見学が中止されたり、変更されることがある。
②現地では船長による安全上の判断が優先される。等々説明がありました。
緊急避難を要するときは、長音1回、単音7回の信号が鳴らされるので、その時は部屋備え付けの大きい方の救命胴衣をもってお集まりください。(小さくて軽い方は上陸用)
●避難訓練
乗船後24時間以内に避難訓練を実施しなければなりません。
キャビンに戻って暫くしたら、例の「長音1回・単音7回」が鳴った。
クローゼット上段から救命具を取り出し、急いで5階メインラウンジに集合(全員出席の事)
出席点呼、救命胴衣の装着、注意事項等々。
救命ボートの場所確認の為、5階デッキに移動。“寒い、寒い“。キャビンや船内は快適な温度に設定してあるので、うっかり薄着のまま救命訓練に参加したが、本当に避難しなければならない時はしっかり着込んで暖かくしないとならない。肝に銘じました。
何となく小さいと思えるこの救命ボートに100人以上が乗るんだなぁ。しげしげと見上げていました。 解散!10分間もいなかった船外でしたが、凍えるようでした。
●出航予定変更
18:00出航予定のところ、港が閉鎖されている為 未だ出航できません。
南極クルーズでは天候、自然環境等で屡々予定が変更されるという。出鼻から見舞われました。
ビーグル水道クルーズが中止になったのは当然。私達の船も出航できません。
そんなに強風なのか? ビーグル水道でこれだから、況やドレーク海峡は? ・・・
●防水性パルカ配布
男性用と女性用に分かれて、試着。これは大きいし、こちらは窮屈かな?等、思案の末、結局Mサイズに落ち着いた。夫もMサイズ。
●ディナー
19:45 3階レストランにて入れ替え無の自由席。
乗客174名と聞いているが、174名が一時に食事をとる様は圧巻である。
RURIKOさんに出迎えられ、「クルーズライフ」とリザーブされた席に案内された。
クルーズライフの個人旅行者5名とRURIKOさん、6名のリザーブ席です。
前菜カモ肉のローストビーフ・スープ・メイン(料理の名前忘れた)をチョイス。
クルーズライフ藤原氏より“船内での講座などは日本語同時通訳・船内放送も日本語有」しかし、「船内新聞と食事メニューの日本語はありません。それは添乗員付きのツアー参加者のみの特権です」・・と。船内新聞の訳は添乗員がしているのですね。
食事メニューは日本語訳ありませんでした。レストラン入口にメニューのサンプルがセットされていたのと、RURIKOさんに教えてもらったりしました。
●出航
20:30 前菜を食べ終わった頃、「動いてるんじゃない、出航したみたいよ」と。
食事中乍ら、出港風景を見るため中座しました。
無数のカモメが飛び交う中、オーシャン・ダイヤモンド号は方向転換しつつ、桟橋を離れていきます。オランダ船籍の“PLANCIUS”号も同時出航です。
ウシュアイアの町が、元監獄が、だんだん遠ざかっていきます。
この風景を見るのも10日後、南極はどんなところだろうと胸弾ませる反面、無事に帰ってこられますように・・と祈る思いでした。
出港風景を早々に切り上げレストランへ。スープとメインが用意されていました。
本日のデザート2種、ウェーターが見本を運んで来て、どちらにする? 2種の他にアイスクリームとフルーツはいつも用意されています。コーヒー・紅茶も注文OK。夫はアイスクリーム。私はフルーツ。
●ビーグル水道
出港したらビーグル水道です。
ダイヤモンド号はビーグル水道を順調に東へ進んでいるようです。
酔い止め薬を飲んで早めの就寝が得策です。