アーネスト・シャクルトンが率いたイギリスの帝国南極横断探検隊の目的は、ウェッデル海から南極点を経由してロス海に到達する史上初の南極大陸横断を達成することでした。1914年8月8日、イギリスを出港。12月5日、サウスジョージア島を経て南極に向かいましたが、「エンデュアランス号」は、ウェッデル海の分厚い流氷に行く手を阻まれ、閉じ込められ、1915年の秋、氷に押しつぶされ沈んでしまいました。氷上に残された28名の隊員たちは、救命ボートで氷の海を漂いながらエレファント島に辿り着きました。しかし人間の住めないこの場所では、救助される見込みがないことから、シャクルトンと5名の隊員は、約1,500km離れたサウスジョージア島の捕鯨基地に救助を求めて小さな無甲板の救命ボートで荒れ狂うスコシア海に船出したのでした。この探険は、絶望的な困難を乗り越えて全員の隊員たちが生還した歴史上の劇的な物語として知られています。一方、ロス海チームは、多くの困難にかかわらず南極点からロス海に至る補給基地を作る任務を完遂していましたが3名の隊員が亡くなってしまいました。1921年9月17日、シャクルトンは、再び南極探検のためにクエスト号でロンドンからサウスジョージア島へ向けて出港。1922年1月4日、無事サウスジョージア島のグリトビケンに到着。しかし、グリトビケン滞在中に突然の心臓発作に襲われ死亡。偉大な探検家の亡骸は、サウスジョージア島に葬られています。2022年3月、ウェッデル海に沈んだエンデュアランス号は、107年の時を経て発見されました。この発見は、「フォークランド海洋遺産財団によって組織され、資金提供された「Endurance22」調査隊によっておこなわれました。この調査では、自律型水中ビークル「Sabertooth」を利用して沈没した海域から約6キロ離れた、3,008メートルの深海に沈んでいる「驚くほど保存状態のいいエンデュアランス号」を発見しました。この難破船は南極条約により史跡および遺物として保護されていることから、「研究者たちは外部から見ることはできても、触れることはできない」とのことです。 南極地域に対する初期の認識は「地球は球体だ」と主張したギリシャの哲学者たちの知識からきていて、既に知られている北半球の大陸とバランスをとる為に「地球の南端には巨大な大陸があるはずだ」とする考えからきていました。 哲学者たちに良く知られていた北の星座、大熊座(アークトス)に対比して想像上の南の大陸をアンタークトスと名付けました。当時それは純粋に理論上の推論で、実際に具体的な事は何も分かってはいませんでした。それでも古代の想像上の大陸が描かれた地図が200年間に亘って使われ続け、その大陸をラテン語でテラ・オーストラリス・インコグニタ(未知の南の大陸)と名付けていました。以来、南極は探検の時代、アザラシ猟の時代、英雄の時代そして南極大陸征服、捕鯨の時代と時が移り、現在は南極条約に基づく国際協力の時代となっています。ロアール・アムンセン、人類初の南極点到達ロバート・スコット南極点に到達、帰路全員遭難死白瀬中尉を隊長とする「白瀬日本南極探検隊」は、南緯80度05分、西経156度37分に到達。「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し帰国1911年12月14日1912年1月17日1912年1月28日4ウェッデル海に沈んだエンデュアランス号が107年の時を経て発見南極探検の歴史(抜粋)アーネスト・シャクルトンErnest Henry Shackleton探検家と科学者たちExplorers and ScientistsExplorers and Scientists
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